見た目じゃ分からない成長もある
先日の飲みの席での話だ。
あるブログ読者の方とお話をする機会を頂いた。
その方との話の中心は
「自己成長」についてだった。
1日1日を過ごす中で自身の感度を高め、
感じた事を噛み砕き「自己成長」につなげる。
しかし「成長」と一言で言っても
目に見える「成長」と、
目に見えない「成長」とがあるのだ。
どうも、
名古屋の美容師、そして人間の研究家
亀田トオルです(`_´)ゞ
彼は、
「今の自分はあまり成長がない」
そう言っていた。
話を聞くと、
彼の勤める店はいわゆる“面貸しサロン”
施術する場所だけ借りて
個人事業主としての独立した立場で
仕事を行っている。
そこでのメリットは何よりも
独立している訳だから
自分のやりたいスタンスで
「自由」に仕事が出来るということだ。
言い換えれば
頑張るのも自由だし、
サボるのも自由だということ。
そんな中で仕事をしている為、
頑張ってる人、
程々にやって楽を選ぶ人。
良くも悪くも人の本質的な
両面を目の当たりにする。
その中で彼は
とにかく毎日サロンワークをこなしながら
自身の撮影の作品を
SNSにアップしているのだと言う。
時に彼は、
そんな環境の中で
「“サボる自由”を選んだ人達に流されない様に自分をしっかり持っていないと本当に怖いですね。
でも、時にはそれに流されそうになる時があるんです、だから自分はまだまだ成長出来ていないんだと思います。」
そう言っていた。
辛い局面で耐えるということは
見た目以上に力を使う。
激流に流されまいと耐えることと同じ様にだ。
進める距離は少なかったとしても
耐える力は相当いる。
人の成長は、
「どれだけ成長出来たか?」
という“伸び率”で測ることが多い。
それは成長度合いが
目に見えてわかる訳だから当然だろう。
でも、
「どれだけの負荷に耐えられたか?」
という“力”の部分で測ることも出来る。
ただ、“力”という見方は
地味で分かりにくい。
人の成長の視点を少し変えるだけで
違った側面が見えてくる。
もし、激流に耐え続けた人がいたとして、
突然激流が和らいだとしたら、
恐らく相当の距離を難なく進むことが
出来るだろう。
目に見える「成長」だけが
成長ではなく、
耐えることも立派な「成長」だ言える。
目に見える成果が出ないと
止めてしまう人は多い。
正直、耐える期間は地味なくせに辛い。
ただ、耐え続けることは目に見えていなくても
確実に成長している。
自分を見る時も、人を見る時も、
成長の基準を
“伸び率”だけではなく
耐えた“力”の部分でも見る事が出ると
今の辛い局面への見方が
変わるのではないだろうか。
では。
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