更にハイレベルな人が動く動機について。


先日、人に響く伝え方についての
記事を書いた。
人としての成熟度(レベル)によって
響くポイントは違う。
実は更に成熟した考え方というのがある。
それはわかってはいてもなかなか理解し難く、
正直万人受けしない為、
先日の記事にはしなかった。
今日はあえてそんな少しコアな部分に
フォーカスして話を進めていく。

どうも、
名古屋の美容師、そして人間の研究家
亀田トオルです(`_´)ゞ

人としての精神的成長は

どれだけの人に親切にできるか

によって決まる。
最初は
「やりたいかやりたくないか」
それが少し成長すれば
「自分の利益の為に嫌な事でもやる」
更に成長すれば
「人への親切心、思いやり」
と変化する。

では人の考えが更に成熟した時、
どんな考え方に変化するのか?
人はさらに成長すると、
「世界の何処かの見知らぬ誰か」
「明らかに見返りのない状況」
「目に見えない何か」
に対しても、
親切心を発揮できるようになる。

「そこにあるゴミを拾えば誰かが嫌な思いをしないで済む」
「これが出来れば(世界のどこかの)誰かが喜ぶ」
「神様は見ている、だから人が見ていなくても非情な事はしない」
そう考えるようになるのだ。
これは
「想像力」の発達と、
「社会的な役割」についての
認識を伴うため、
更に成熟が必要となる。

これまで読んだ本の著者の中にも、
「目に見えない何か」
や、
「どこかの見知らぬ誰か」
の存在を意識した文面はよく目にする。

「見返りのない親切を行う義務感」
「他者の喜びを自分のものとする」
そんな成熟した精神は、
人間である以上
そう簡単に持てるものではない。
それにこれをまだ精神的に
成長できていない人に熱心に伝えたとしても
「偽善」
「どうせカネのため」
「オカルトちっくだ」
そう見られることだろう。

、、という自分もまだ
精神的に成熟している訳ではない。
自分の利益を優先することもあるし、
人が見ていなければサボることもある。
でも、人の精神的本質を理解し、
常に成長を意識し、
人間としてどうあるべきか、
何が正しい選択なのかを考え、
貫いていくことが
大切になるのではないだろうか。
では。

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