叱る基準がズレた時「ガミガミうるさい上司」になる


「褒めて伸ばす」が主流の現代でも、
いざという時
叱れない上司はいい上司とは言えない。
しかし叱りすぎもまた問題がある。
実は叱ることは絶妙のさじ加減が必要となる。
ではいつ、どの様に部下を叱るべきなのだろう?

どうも、
名古屋の美容師、そして人間の研究家
亀田トオルです(`_´)ゞ
 
そもそも「叱る」という行為は何の為にするのか?
子供の頃を思い出すと分かりやすい。
ダメなことをしたら叱られた。
ダメだと言われたことをしたら叱られた。
つまり叱る目的はダメなことを

認識させ、改めさせる

これができていればいい。

そこで、適切な叱りを行う為に
まずは上司の中にある
「判断基準」をしっかり設ける必要がある。
大抵この判断基準の違いから
叱りの不具合が生まれる。

不具合とは何なのか?
それは個々の「当たり前」の違いだ。
それまで育ってきた環境が違う他人同士、
自分の常識が全てではない。
よくあるのが部下の常識を理解しないまま、
上司の常識を押し付けるパターンだ。
それでは
「なぜ叱られるのかわからない」
「良かれと思ってやったのに叱られた」
「意味も分からず当たられた」
という結果が目に見える。

逆に、

叱られる基準

というのが上司と部下の間で
しっかりと共有できていれば
納得できて上の様なすれ違いは生まれない。 
上司の気分一つで叱られる基準が変わる、
という事態は部下からの信頼を失う。
しかし案外やってる人は多い。

余談だが、
新婚生活が上手くいかない人は
全く同じ理由からだと言える。

ではどういった基準を設けるべきなのか?
例えば、
『手抜き』
明らかな仕事の手抜きについては、
部下自身も分かっている上に
そのままにしたら恐らくまた繰り返す。
だから叱る必要がある。 
『約束を破る』
仕事は信用と約束で成り立つ。
約束が守れないことに対しては
叱らなければならない。
 『真摯さに反した時』
人を侮辱したり、
明らかに非道徳的な行動、言動をした時は、
叱らなければならない。

などだろう。
考えてみれば当たり前のことで
小学生レベルの話だ。
しかしそれが大人になると
なかなか出来なくもなる。
これなら判断基準の共有も
スムーズに行えるのではないだろうか。
逆に、そういった理由以外であれば、
相手の話を聞いてから叱るのでも
遅くないのかもしれない。
では。

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