案外嫌いな人から多く学んでいた。
デキる人の第一条件としてとても大切になるもの、
それは“学ぶ”という能力だ。
あなたも尊敬する人から話を聞いたり、
スゴイと思ったものから学びを得るかもしれない。
では嫌いな人からはどうだろう?
どうも、
名古屋の美容師、そして人間の研究家
亀田トオルです(`_´)ゞ
本当にデキる人は
嫌いな人からも学んでいる印象がある。
ただ、
「人は皆善人だ」
「嫌いな人でも敬意を現して接しよう」
という精神論的な話ではない。
誰でも苦手な人は苦手だし感情を大切にする。
ただ、感情を超えて
とにかく学ぶ能力が極めて高いということだ。
まだよく分からないと思うので
詳しく説明していこう。
例えば、
ある人は「あのやり方じゃダメだ、巻き込まれないようにしよう」と言う。
ある人は「あのやり方じゃダメだ、絶対に真似しないでおこう」と言う。
↑この微妙な違いが学びに繋がるか繋がらないかの
大きな分かれ道となる。
前者は“巻き込まれない”というところに
注力している為、
距離を置いてそれで終わりだ。
後者は“真似をしない”というところに
注力している為、
それ自体が学びとなり教訓となる。
また、ある職場でチクリ屋の同僚がいたとする。
もしかしたらあなたの職場にもいるかもしれない、
「あいつがこんなことを言ってましたよ」
「この前あいつミーティングで決まったことに対して文句言ってましたよ」
そんなことを上司に言うタイプだ。
しかしそういった人の存在が
消えないのには訳がある。
深く探っていくと実はそこには上司サイドの
“情報が欲しい”という需要があるからだ。
「だれが何を言っているか?」
「皆は自分の言ったことに対してどんな反応なのか?」
表には出さないけど気になる、
そんな上司の需要に
知ってか知らずか上手く答えている。
それに対してあなたの感情が先に来たとしたら、
「あいつの意見を聞く上司もダメだ」
と、拒絶してしまうかもしれない。
でももしもそこで
あなたがその需要と供給に気付き、
学ぶことができたとしたらどうだろう?
上司の気持ちを理解すると共に、
先に上司と積極的に報、連、相を行うことで、
チクリ屋の存在を
無効化することができるかもしれない。
デキる人とは
「学ぼうとする欲が感情に勝つか?」
という部分に現れる。
日常の本当に些細な考え方の違いで、
学びが得られるか
ストレスになるのかが大きく変わる。
上手くいっているものには学びのヒントがある。
でも実は上手くいってないものにも
学びのヒントがある。
あなたはそこに気付けるだろうか?
“学び”とは感情を超えて、
客観的に見る目が問われるのではないだろうか。
では。
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