努力は報われないが努力は大事だという話
「努力は報われる」
何度この言葉を聞いたことだろうか。
努力の大切さを語るときに使われる言葉だ。
しかし本当に皆そう思っているのだろうか?
おそらく思っていない。
どうも、
名古屋の美容師、そして人間の研究家
亀田トオルです(`_´)ゞ
子供に勉強させたかったら、
「努力すれば報われる」と言っておく。
社会人に仕事をさせたかったら、
「努力すれば報われる」と言っておく。
しかし今時誰も信じない。
子供ですら信じないだろう。
なぜなら皆心の中で
報われない人もいることを知っているからだ。
実際に努力しても報われない人は大勢いる。
なんなら報われない人の方が多いかもしれない。
ただ、努力は成功したい人、
つまり何かを成し遂げたい人にとっては
最低条件でもある。
しかし世の中にはいわゆる
“意識高い系”ばかりではない。
「別に成功したくないんだけど」
という人には努力の大切さは何も響かない。
「うちの社員には意欲がなくて、、」
と言う人も多いが、
おそらくそういう人の頭のなかは、
欲がない、努力しない、楽をしたい、
ということがセットになっているのだろう。
上で言うズレの原因は明らかに、
“努力”と“報酬”を
セットで語っているところにある。
要するに、“努力”というのは
「報酬を得るための苦行」
そう考えている人が多いからズレが生じるのだ。
だから報酬に興味のない人を
動かすことは出来ない。
「いい大学、いい会社に入るために勉強しろ」
と言われても、
「別にいい大学、いい会社に入れなくてもいい」
それで終わりだ。
今の時代、
“努力”は“報酬”を約束してはくれない。
だから最近では
「別に努力なんてしなくいていいんじゃない?」
「別に働かなくてもいいんじゃない?」
という人が出てきているのだろう。
だから“報酬”を努力の理由にすることはできない。
というより本当は
努力する理由は“報酬の為”ではない。
ではなぜ努力するのか?
答えは簡単だ。
実は、努力する人は、
努力しないと耐えられないからそうしているのだ。
もちろん努力は辛い。
しかし、努力する人にとって
明らかに努力をしている方が楽なのだ。
それは人間が“暇に耐えられない”からだ。
人生は常に不安である。
何もすることがない、何もしていない、
というのは不安と正面から戦わないといけない。
人間にとって何かに没頭することが、
精神の安定に重要な役割を担うのだ。
人間は「何もしない」という状況に耐えられない。
だから本能的に
仕事をするし、子育てをするし、勉強をする。
映画『マトリックス』でこんな一節があった。
”マトリックスは、君たち人類が作ったのだ。
楽しくて、幸福な生活のためにな。
だが人類とは不思議なものだな。
不幸とか苦しみがないと、
かえって不安になるらしい。”
“努力すれば報われる”ではない、
“努力することで初めて人生が不安なく送れる”
のである。
では。
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