ダサい自分をさらけだし、試行錯誤の末にしかコミュニケーションは身につかない。
現代は”コミュ力” のある奴が強い。
仕事でも恋愛でも、
上手く行く人はコミュ力のある奴だ。
どうも、
名古屋の美容師、そして人間の研究家
亀田トオルです(`_´)ゞ
例えば小さい頃に好きな子に
ちょっかいをだしてしまったり、
イジメに近い行動をとってしまった人は
多くいるかもしれない。
そんなことをしても
絶対に両思いにはなれないのにだ。
しかしそんなことをしていた人も、
大人になるにつれて
好きな子をイジメることはなくなる。
なぜだろうか?
それは試行錯誤の結果、
そういう行為が”両思いになる”という結果に
全く結びつかないことを学習するからだ。
コミュニケーションとは言葉や態度を通じ、
相手に何らかの感情を伝えるという作業である。
なぜそんなことをするかというと、
そういう行為を通じてでしか
人は自分にとって望ましい結果を
手にすることができないからだ。
黙ってたり無表情な人の心の中を
読み解ける人は誰もいない。
子供の激情と大人のスマートさを比較してみよう。
子供は感情の塊である。
全身全力でエネルギーをぶつけてくる。
例えば、おもちゃ屋さんの前で
「欲しいーー!!ねえねえ買って~」
などと駄々をこねる子供が時々いる。
しかし子供がおもちゃを買ってもらえる可能性は
極めて低い。
なのに何故子供は
そんな不器用な方法をとるか?
それは子供がコミュニケーションの作法を
熟知していないからだ。
しかし多くの子供はかしこいので
いつまでもこのような行動を繰り返すことはない。
成長するにつれてだんだんと学習するのだ。
かしこくなった子供は
「テストで100点取ったらゲーム買ってくれる?」
という様な駆け引きを覚える。
激しい感情は
スマートな大人のコミュニケーションにおいて
全く必要がない。
欲しい気持ちがどんなに強くても、
ものを手に入れるのには全く役に立たないのだ。
つまりコミュニケーション能力というのは、
感情を上手く人から受け入れられやすい
スマートな手法に落とし込んだものだといえる。
スマートなコミュニケーションは、
どんな人であれ試行錯誤しないと
絶対に身につけることはできない。
相手に言葉や態度をぶつけてみて、
その反応をみることでしか学習する術がないのだ。
上に書いたように、
我々のコミュニケーションは
はじめは感情からスタートする。
幼い子供はその分かりやすい例だ。
恋のコミュニケーションも、
はじめは感情からスタートする。
けどその思いはだいたい成就しないものだ。
そうしてダサい思いを何度も繰り返すことで、
人はだんだんとスマートになっていく。
ダサい自分をさらけだし、
試行錯誤の末にしか
コミュニケーションは身につかない。
若い頃の苦労は買ってでもするべきだ。
その試行錯誤の先に
人からモテるスマートなコミュニケーションを
手に入れられるのだ。
では。
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