いまどき「察してくれ」に頼りすぎるとイライラするし嫌われる

先日知人と仕事の話をした。
その中で知人がこんなことを言っていた。
『今のコミュニケーションに大切なのは“察してくれ”に甘えないことだよ』 

どうも、
名古屋の美容師、そして人間の研究家
亀田トオルです(`_´)ゞ

『今のコミュニケーションに大切なのは“察してくれ”に甘えないことだよ』 
 「なるほど」
しかし「察してくれに甘えない」と
一言で言われても具体的に良くわからない。

「どういうこと?」と聞いてみた。
『お互いに不信感を持ったり、イライラすることの原因って大抵相手に対しての“察してくれ”が多すぎるからなんだよ』
「んー、具体的には?」
『例えば、上司に対して「困ってたら察して助けてくれるだろう」と思って助けを自分から求めないケースとかかな?』
『こっちは困ってんだから上司なら察してくれよって上司にに甘えてる、そこからコミュニケーションのいざこざが生まれる』
「あー、そういうことか、なるほど」
『ちなみに、このケースの場合はもちろん上司にも非がある』
「なぜ?」
『上司も同じく「困ったら相談しろって、言わなくてもわかるよな?」って思っているから』
「たしかによくありがちなパターンだね」

『これからは「常識だからわかるだろう」はどんどん通用しなくなるだろうね。色んな働き方が増えたり色んな思想の人たちが増えてる訳だから。“察する”っていうのは過去のものなのかもね』
「たしかにそうなのかも」
『ただそのかわりにルールと、最低限守るべきモラルの統一が重要になるんだよね。人が人に頼んだり、仕事を一緒にするときにはどんなルールが必要かをきちんと洗い出す必要がある』
「なるほど、、、」

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長らく日本人のコミュニケーション能力は
“察し”という文化に支えられてきた。
だが“察し”に頼りすぎると、
小さなチームのうちは生産性が高いが、
徐々にプロジェクトが大きくなるにつれ、
人間関係の悪化が原因で生産性は下がる。
また、同質性の高い集団にしか通用しない。

しかし現代の日本人は多様化した。
会社の中にいるのは正社員だけではないし、
世代によっても全く考え方が違うことは、
多くの人がわかっているだろう。
 
そして、そのうちに
「みんな自分のことをわかってくれない」
という考えや
「上司は自分の気持を全くわかってくれない」
という考えにつながる。
そしてそれが積み重なると憎しみに変わる。
なぜ期待に応えてくれない?
なぜ何もしてくれない?
こんなヤツらは最悪だ!
 
となる訳だ。
 
運転をする時には
“だろう運転”はダメだと教わり、
“かもしれない運転”を心掛けよ、と教わる。
「向こうが譲るだろう」
「向こうが止まるだろう」
といった相手への依存が裏切られればムカつくし、
「向こうは急いでるかもしれない」
「向こうが飛び出してくるかもしれない」
といったこちらの配慮のし合いで
車社会は円滑に回る。
コミュニケーションも全く同じなのだ。

自分に都合よく思い込まず、
相手にきちんと言う、聞く。
面倒くさいがそれは多様性を求めることの
1つの代償でもあるのだ。
では。
 

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