「自分の頭で考えろ」僕、そうやって言う人嫌いなんですよ。という教授の話。
「自分の頭で考ろ」ってよく言いますよね?
僕、そうやって言う人嫌いなんですよね〜。
どうも、
名古屋の美容師、そして人間の研究家
亀田トオルです(`_´)ゞ
僕の職場は大学の近くにある。
その為、大学の教授がよく店に来る。
その時の話だ。
教授『「自分の頭で考ろ」ってよく言いますよね?僕、そうやって言う人嫌いなんですよね〜』
僕「そうやって言う人初めて聞きました。普通は自分の頭で考えろ、って言いますよね」
『そうですね、若い研究者や学生にありがちなんですがよく調べもしないで「私はこう思った」って言うんですよ』
「はい」
『そんなこと既に他の人が考えていて「そんな研究は山ほどあるよ」っていっても、自説にこだわるんです。自分で考えることにこだわるっていうか、それじゃ新しいことは生み出せないんですけどね』
「なるほど」
少し変わった考えを持っているようだ。
更に話を進めた。
『多分、「自分の頭で考えろ」って意味、多くの人が勘違いしていると思いますよ』
「どういうことでしょう?」
『こういうことわざしってますか?「下手の考え休むに似たり」ってやつ。自分で考えることが重要、ってメッセージを間違って捉えてる人が多いんですよ』
「ほお、ではどうすればいいんでしょう?」
『言い方はアレですが、“自分がバカだってことを認識する”ことの方がよっぽど重要かと。本を読み、調べ物をし、人の考えを知る。それは“自分が何を知らないか”を知るためです』
「なるほど」
『そもそも我々にとって“知っていること”より“知らないことを認識すること”のほうがはるかに重要なんです。私はまだこれについて知らない、そういう認識が我々を高める。それこそが多様な見方を取り込もうと努力することにつながるんですよ』
『だからこそ「自分の頭で考えろ」って言葉の使い方には注意が必要なんです。間違っても“自分を賢く見せようとしてるだけの安っぽい人間”にならないことですね』
『学生たちに自分の頭で考えるように指導するのはちょっと危険ですね。会社でもそうでしょう?とりあえずマネしろ、じゃないですか』
「たしかにそうですね」
『マネがきちんと出来るようになって一人前になる。さらにそれから上を目指すときに、今までの知識を整理して「これはできるか」「あれは可能か」を検証する。それには意味がある。自分の頭で考えるのは、そこからですよ』
たしかにそうなのかもしれない。
2400年前の哲学者も同じことを言っていた。
おそらく真理なのだろう。
では。
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